寺スが綴るコラム

日本人の風景

「脇元の思い出 その2」日本人の風景#5

沼津の宝珠院に初めて伺った時のこと、何と玄関まで出迎えに出てきたのは脇元その人だった。
つい数時間前まで同じ職場の同じ部屋の中で仕事をしていた男が、広い玄関に跪いて満面の笑顔で「遠くまでよくお見えになりました。」と言われたのには言葉を失った。

玄関(宝珠院).jpg彼の作務衣姿を見たのはこのときが初めてだったが、姿だけは完璧にお寺の坊主そのものになりきっている。

この日お寺に出向いたのには目的があった。
その目的というのも私が掲げた目的ではなく、脇元から昼間急遽私に与えられたものであった。内容はこうである。
数ヶ月前から脇元は宝珠院の管長とのご縁に恵まれ、毎日のようにお寺に出入りするようになった。
それどころか、彼専用の作務衣は買い与えられるし、仏画は教えてもらうし、一緒に旅行には連れていってもらうし、毎晩駿河湾の海の幸のご馳走はいただくし・・・と実の子以上の扱いを受けていた。
そんなお付き合いの中で、管長から相談を受けたのだが、その内容というのが私達の医療法人(医療法人SEISEN)と宝珠院とが一緒になって老人ホームや児童養護施設を経営したい、というものであった。

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医療法人SEISENはまだ開院して数ヶ月の頃で、とてもでないが資金的にもマンパワー的にもそのような大きなプロジェクトを立ち上げられる状況にはない。
さすがに彼にもそれはわかっていた。にも関わらず、たらふくご馳走を食べさせてもらっている以上、簡単に「できない」とは言えない。
ついては、経営者パートナーである私から上手にお断りしてもらいたい、それが彼が私に与えた目的だったのだ。

初めて通されたお寺の庫裏は想像していた世界とは大違いだった。
そもそもお寺で酒や肉魚のご馳走が振る舞われること自体が私のそれまでの常識とは異なっていたし、挨拶に出てこられたお坊様達といったら、管長はじめ副管長も、そのまた妹僧侶(現:サトヤマ寺ス「いのちの"居場所"お寺」担当 )までもが皆女性。その空間は厳かな宗教色とは程遠く、花々の香り立ち込める竜宮城といった趣である。

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なるほど、脇元はこれにやられたのだな、しっかりしないと俺まで飲み込まれてしまうぞ!と一人頭を冷たくしたものである。


さとやま遊人郷プロジェクト代表 米山兼二郎